2012年1月29日日曜日

劣等感を味方に

多くの人が自分の中に劣等感を持っています。
それは、こころのどこかに隠れていて、ある日ある時、フッとそれが思い出され、それによって、不安になったり、自信を持てなかったりすることがあります。
そして自分の劣等感に押しつぶされてしまったり、それに負けまいと立ち向かって行く人がいます。
私たちの中にある劣等感。
それは、本当にあなたを苦しめ続けるものなのでしょうか?


僕は、中学の時、不登校をしました。
3年間ひきこもりもしました。


そのときのことが僕にとって劣等感として現れることがあります。
なんでちゃんと学校へ行かなかったんだろう?
みんなは当たり前にやってきたことが、僕は違うと。
自分の人生に行き詰まりを感じ始めると、劣等感はそっと僕に近づいてきます。
僕はみんなよりも劣っているのではないだろうか?と。


しかし、カウンセリングを学ぶ中で気がついたのは、過去に無駄な物はないんじゃないかってこと。
そして、自分の中に浮かぶ感情にも無駄な物はないんじゃないかと。
喜びも悲しみも。
怒りも不安も。
無駄な物はない。
どれも自分を成長させてくれるものなのです。


例えば、アドラー心理学では、そうした自分の心にある劣等感に出会うと、「劣等感万歳!」といいます(笑)自分が成長できるチャンスを手に入れたと分かる。劣等感として捉えられるものは、乗り越えられる壁。それが分かったということは喜ぶべき事、チャンスなんだと。


なぜそうなるのかというと・・・。


何か物事が起こった時、劣等感や不安が浮かんだ時、
自分には2つの選択肢があります。
その事に対して、「非建設的な態度をとること」もしくは、「建設的な態度をとること」。
最初の例の不登校をしたことに「非建設的な態度」をとっていると、過去を後悔し、不安になり、そのことになんの意味づけも目的も見いだせないかもしれません。そして、自分は駄目なんじゃないかと押しつぶされてしまいそうになのではないでしょうか。
しかし、建設的に考えるならば、人の弱さを知ることが出来たかもしれない、この経験が誰かの役に立つかもしれない。今の自分があるのもあの時があったからなんだと考えられる。すべてのことは学びのチャンスとなるのだと。


フッと劣等感が浮かんだとき、その時にこそ、どんな態度をとるのか。
そこに自分の劣等感を味方にできるヒントがあるのではないでしょうか?
学びのチャンスとして捉え、それに立ち向かい始めたとき、それは劣等感ではなくなるのかもしれません。もしくは、悩んで泣いているその時ですら、僕らは多くのことを学んでいるのかも知れませんね。

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